発展するお寺はここが違う!本気でお寺の将来を考える住職のための 寺院運営.com イメージ
寺院運営.com

寺院運営コムHOME

お知らせ

無料メールマガジン 寺院運営研究通信

明日のお寺を考える会
経営視点を持って先進的な取り組みを続ける寺院の研究会を開催

寺院活動診断チャート

成功者から学ぶ

寺と人を結ぶネットワークづくり

出版物

リンク集

問い合わせ





寺と人を結ぶネットワークづくりと寺に人を集める方法
よろず相談所としての寺院になるために

「相談の寺」としての信頼

 近年、寺院に人が来なくなったと言われている。日常的に来ないのはもちろん、行事を行っても、そこに人が集まらない。そのため行事そのものを続けるのが難しくなっている寺院も多いようだ。
 その原因については別の機会に述べたいが、多くの寺院が危機感を持つようになったのは全国共通のようである。しかし実際にどう対応していけばいいのかについての、決定的な答えは誰も持っていない。
 ただ、答えは無くとも、そうした流れに飲み込まれまいとして、懸命に現代における寺院の役割を模索する寺院も少なくない。そしてそうした工夫が一定の成果をあげ始めている寺院もあるようだ。

 中でも最近多いのが、コンサートや講演会などの文化的な催しを行い、誰もが気軽に来ることができるようにしていくという方法である。この方法は一般の人にとっても、仏教的な伝統行事に比べ参加しやすく、わかりやすい。多くの人は、最初から仏教的な話をすると、それだけで敷居の高さを感じてしまう。コンサートや講演会ならば、あまり難しくは考えない。いきなり仏教に持って行くのではなく、最初は敷居を低くして、少しずつ少しずつ、教化の方向に持って行くのである。
 また伝統的な行事に、文化的な催しを組み合わせることで、参加する意欲を高めようと努力する寺院も多い。
 おそらく、現代におけるあり方を模索している寺院の中では、これらの手法を採用しているところが、もっとも多いであろう。そして、少しずつではあるが、成果をあげている寺院も増えている。

 ところが最近、取材をしている中で、「相談の寺」という方向性を模索している寺院もけっこうあることに気づいた。文化的なイベントを行うことは、一見派手なので目につきやすいが、「相談の寺」という方向性は、どちらかというと目立たないので、これまで気づきにくかったのだ。
 もともと寺院は、「何かあったら相談に行く場所」であったと言われる。落語や昔話には、夫婦喧嘩をした後に寺に駆け込んで、住職に話を聞いてもらうといった話がよく出てくる。別に江戸時代にまでさかのぼらなくても、戦後すぐの頃までは、そういった光景が日本中で見られた。
 ところが今では、悩んでいる時に、「お寺に行って話を聞いてもらおう」という考えを持つ人はいない。ほとんどの人が「お寺は葬式をしてもらうところ」としか思っていないのだ。
 しかし私は、今でも僧侶の多くには、人々の悩みを受け入れることのできる能力があると考えている。程度の差はあれ、僧侶は仏教を学び、修行をしてきている。誰が何と言おうと、宗教家であることは紛れもない事実であり、それを意識しない僧侶はいない。人々の悩みに対して対応する技術と潜在能力はあるのである。また、僧侶としての姿には、「自分たちに無い何かを持っている」と思わせる力がある。相談して話を聞いてくれるだけで、安心させてくれる力があるのだ。
 「私にはできない」と思っている人も多いだろうが、それはやったことが無いだけである。相談に応じた経験が無いから、やる自信が無いだけである。
 おそらく、やってみさえすれば、できる僧侶がほとんどなのではないだろうか。


「相談に行こう」という気にさせるためには
 しかしここでもう一つ問題がある。僧侶が悩み相談に対応できるとしても、一般の側が「お寺に相談に行こう」と思うことが希だということだ。日本では既に「寺院を訪ねれば、いろいろな相談にのってくれる」という感覚は失われてしまっている。それゆえ「お寺に相談に行こう」という気にさせるのが難しいのだ。
 そうした状況にも関わらず「相談の寺」になりえた寺を見ると、いくつか共通する点がある。それは、相談をしに寺に来る人たちの多くが、はじめから「相談」そのものを目的にしているわけではないということだ。単に「相談受けます」といった看板などを見て、相談に来る人はあまりいないのである。
 特に多いのが、運命や方位を見たり、祈祷を行う中で、悩みを打ち明けるというパターンである。

 もともとこうした用事で寺に来る人たちは、悩みを持っている。
「最近何をやってもうまくいかない」
「会社での人間関係がうまくいかない」
「子どもの進学で悩んでいる」
「家族が次々病気になる」
 祈祷によってこうした悩みを解決しようと考え寺院に訪れているのであるが、実は、ほとんどが気の持ちようで解決できるようなことでもある(もちろん祈祷を行うことそのものにも、気の持ちようを変えていく効果がある)。それゆえ、祈祷に加えて、カウンセリング的な対応をすることも可能なのだ。
 ただし寺を訪れた時には、悩みを相談しようという発想はない。悩みのもとになっているものを、宗教的に解決しようと考えて訪れているわけだ。それでも、上手に話を誘導していけば、必ず悩みを打ち明けていく。
 そして話を聞いてあげさえすれば、とりあえず気持ちは晴れるものなのだ。

 はじめから、いろいろとアドバイスをする必要は無いだろう。人間関係があまりできていないうちに、いろいろと言うことは難しい。相手を不快な気持ちにさせる可能性もある。だから急がないで少しずつ関係を構築し、ある程度のところで、なんらかのアドバイスをしていけばいいのだ。最初は、運命を見てもらうついでに、祈祷をしてもらうついでに、話を聞いてもらっただけなのが、次は、相談するために寺に来るようになる。そうなれば、様々な展開が可能になるだろう。
 実はこれは、カウンセリングという分野の手法と同じである。カウンセリングも基本は、「ただ話を聞く」ということであるらしい。アドバイスはあまりせず、むしろ「自分で気づくように導く」技術であるという(私は、カウンセリングについての知識を網羅しているわけではないので、この考え方が主流なのかどうかは知らないが)。
 つまり、話を聞いてあげる、ということが重要だと言うことである。そこからはじめて、状況に応じて、いろんな方向に展開していけばいいのだ。
 冒頭で述べたが、実はこうした活動をしている寺院がけっこうある。もちろんその活動内容は寺院によって大きく幅がある。月に1〜2回くらい、世間話ともつかないような悩みを相談にくる人のある寺院があれば、毎日何人もの人が相談に訪れる寺院もある。聞いた話では、臨床心理士の資格を持った住職が本格的に対応している寺院もあるようだ。
 何もすべての寺院が本格的に行う必要はない。ただ、話を聞いてあげるだけで十分である。その繰り返しが、悩みを聞いてくれるお寺という印象をみんなに植え付けることになる。そうすれば次第に、悩みを相談しにくる人も増えてくる。

 こうした方向性で活動を続けるのは、きわめて地味である。しかも面倒なことも多い。しかし寺院活動の基盤を強いものにしていくのには大いに効果がある。相談に来る人はもちろん、寺がそうした活動をしていることを知った人は、寺に対する見方も変わってくるだろう。大きな信頼を得ることになるのだ。
 私はこうした活動は、実に「寺院らしい」活動だと思う。実に「僧侶らしい」活動だと思う。何より、寺院がそうした「相談をしに行く場所」であった時代は、実際にあったのである。
 現代人は、たくさんのストレスを抱えて生きている。相談できる寺院が身近にあれば、悩みを聞いてくれる寺院が身近にあれば、きっとストレスの大部分を解消していくことができるだろう。現代だからこそ、こんな寺院が求められていると言えないだろうか。
 
 
 
↑このページの先頭に戻る


株式会社鎌倉新書
〒103-0028
東京都中央区八重洲1丁目6−6
八重洲センタービル7階
TEL 03-6262-3521(代表) / FAX 03-6262-3529